平成15.11.23 晴れ
元金竜の住民だったです 

16.5.2
感動!! 

16.5.9
道にまよい、やっと来ました 

16.5.17
金竜に住んでいた。なつかしく思い 涙かでる 

16.5.9
紋別から廃線跡の写真を撮り、ここまできました。町が廃墟になって消えてしまっており さみしく思います 

16.5.23
若き父母の当時の生活跡を求め 訪れました。父は亡くなり、母も老い89才となり昔をしのびなつかしく涙が出る思いです
町が消え淋しい思いがつのります 

16.5.24
父母も他界し、兄弟から逢うたびに昔を思い出しなつかしみ、どうしても一度来て見たくつれて来たのですが
昔をたどるけれど一致しませんが、来て良かった 

16.5.25
父が昭和15年4月3日、この地で殉職しました
長年念願だったこの地を訪れ、うれしく思います 

16.5.29
小学生の頃に学校で日本一と教えられました。それから60数年経ち、生まれて始めて此地を見に来ました。感無量です

16.5.29
はじめて来ました。銀色の道、そうだったのですネ!

16.5.30
セミの声を聞きながら、慰霊碑と記念碑を見ています。昨年の除幕式のにぎわいを思い出します

16.6.8
T町老人クラブ一同。さみしい山の息で虫の鳴き声を聞き昔を思い出す

16.6.13
教科書にあったんだよね。この鉱山のこと!(1949.12生まれ)

16.6.15
何年か前に、ここは古の廃鉱の跡といって息子と来て見たことがありました。
その後、テレビの対話で「宮川先生と黒柳徹子さん」が、鴻之舞鉱山と先生とのつながりを知り、銀色の道がここから
誕生したことにすごく感激。時折この道をなつかしい思いで通っています(本州からの旅行中)

16.6.19
日本一の金鉱が廃墟になり30年。鉱物産地が減るのはコレクターとして淋しい。

16.6.20
先日、支笏湖で昭和34年卒業の同窓会をやってきました(40名)
その名残りで鴻之舞へ来ました。なんとなく気持ちがいやされます。サンキュー

16.6.22
懐かしい故郷を訪ねて 60年振りの友を共に

16.6.22
山口県から60年振りにふる里へ来ました。昔を思い出し感激です

16.6.22
昭和22~29年頃以来に訪れました。山は自然にかえり、驚いています

16.6.25
苫小牧から来ました。ちょうど330kmでした
S48年に閉山されるまで、確か佐渡鉱山と一、二位を争う位まですごかったんだと聞いています
道内に戻り、10年を過ぎましたが、なかなか来ることができませんでした。また来ます

16.6.29
旭川から紋別の帰りです。昔の姿を思い出しています

16.7.1
日本の歴史の1ページを見た思いです。昔の皆様、御苦労様でした

16.7.3
立派な記念碑ができ、多くの人に昔の遺産を知ってもらいたいです

16.7.5
小学校時代をここですごしました。忘れられない故郷です(1951年生まれ)

16.7.8
しばらくぶりに鴻之舞に来ました。昔なつかしく思います
多くの親類や兄弟も生活して居りました

16.7.9
一度来たかったところです。良かったよ 旭川より

16.7.17
あんな大きな岩でも一円玉七つしか取れないんだ、すごい金山!

16.7.18
鴻紋軌道記念碑、大変立派で成功しました。なつかしかったです

16.7.18
4年振りにふる里に帰りましたが、これまでに想い出をつくってくれる方たちに感謝します 東京より

16.7.20
慰霊碑、軌道の記念碑、大変立派なものですね。皆さんと永久に語り継ぎたいですね 石狩市

16.7.24
仕事の帰り道、寄らさせていただきました。北海道にもいろんな歴史があるのですね

16.7.29
今年もたずねることができて嬉しく思います。長い年月、生まれ育って、結婚、2人の子どももこの地の住吉町で
生まれました。古郷は何時訪れても懐かしく胸がキューんとなります
このノートを置いて下さって、心から感謝!!
懐かしい方のお名前を拝見し、コメントに泣けます。みなさん、お元気で・・・

16.7.29
6月12日のおおとり会でなつかしい顔に会い、昔話に花をさかせた
しばらくぶりにおとずれました。本当にかわってしまったけれど・・・
中学時代のことが先日のように思い起こされます

16.8.1
オレは初めてきた。いれいひをみるのははじめて

16.8.2
はじめてきました

16.8.2
札幌から来ました。子供の頃に日本一の金山と聞き、忘れられませんでした
ようやく来れました。感激です

16.8.2
金山の実物博物館にしてほしいです!

16.8.4
札幌からなつかしく来ました。鴻之舞は私の故郷です
上鴻之舞小学校、鴻之舞中学校と本当に久しぶりです

16.8.4
小さい頃、よく亡き兄のところに遊びに来てました。なつかしいです。今日は姉と共に来ました

16.8.6
初めて来たけどすごい。これから枝幸に行きます。砂金掘りに挑戦です!

16.8.7
高校の同級とお泊まり会に札幌から来ました。久しぶりにここに来ました。また次に来ることを・・・

16.8.8
久しぶりにたずねてきた。すっかり様変わりした

16.8.8
65年前にこの土地で生まれ、初めてこの場所をたずね、両親えの思いがわいて来て まご達と
一緒に楽しい思い出になりました

16.8.11
話には聞いていましたが、1万人を超える人が この谷に住んでいた様子を思い浮かべました 旅人より

16.8.13
昭和25年頃 母がここに住んでいたと話を聞き、富良野から見に来ました。何か南の方の街だったらしい
何となく当時のにぎわいが想像できますネ 

16.8.13
私も昭和15年に、この地で生まれました。一歳ほどであったようです
今日は初めて釧路より来ました。感無量の思いです

16.8.14
通り道で、たまたまカーナビに”慰霊碑”と表示されたので寄りました
ここが日本一の金山だと初めて知りました。気づいて足をとめて良かったです

16.8.14
先祖の墓参りの帰途、ずっと一度来てみたかった東洋一の金山
なにか残るものがありました

16.8.15
なつかしい鴻之舞 中学2年生まで住んでいました 岐阜県より

16.8.21
大学で地質学をやっていたので知っていましたが、訪れたのは初めてです 神奈川県より

16.8.28
紋別の歴史を訪ねるとても有意義なドライブでした。到達点がこの鴻之舞!紋別最高!

16.8.29
なんだかとてもせつなくなってしまいました。
このノートに書かれている方たちがふるさとをなくしてしまっている様な気がしてしまって・・・
とても気持ちのよいところですが・・・

16.9.2
昭和11年6月20日に自分の父はここでなくなりました

16.9.7
小さい頃 父親と車で通った時の記憶があります
閉山したばかりだったのでしょうか まだ町並みが残っていて、しかし人影はほとんど無く
後片付けのゴミを燃やしているけむりが上がっていたのを思い出しました
大きな町だったのにね みんなこうして自然にかえっていくのでしょうか
なんかさみしい気がするけど・・・

16.9.7
孫と2人でドライブに連れてきてもらい昔通ったことを思い出しました
ばあさんは孫の車で来るなんて夢のようです

16.9.12
45年振りに来鴻しました 長崎県より

16.9.15
数年振りでこの地に立ち なつかしい思いがします
私もここで育った1人です

16.9.16
初めて来ました。ここで生活していた人たちのことを思うと せつない気分です

16.9.18
中学校第17期生同期会出席のため 40年振りに訪れました
当時の記憶をたどり、ただただなつかしく、今日はゆっくりとしていきます 鹿児島県より

16.9.20
なつかしくて心がふるえた

16.9.20
40年振りに訪れた

16.9.20
10年振りに来ました

16.9.20
40年振りの同期会 感慨無量の一時でした

16.9.24
山を離れてのはじめての訪問 なんか涙がでました。 また来ます

16.9.24
初めて来たけれど、なにか心ひかれるものがあった。とても不思議な場所だと思った

16.9.26
生田原にて短大時代のクラス会後、亡き父の勤務地であったこの小学校跡地に来てみました
ここの出身者と一緒で、町並みの説明を受け、おぼろなる鴻之舞にずいぶん肉付けできました
ありがとう

16.9.26
道南から来ました。昔 この鴻之舞の鉱山、金竜町にいました
35年振り、大変懐かしいです

16.9.26
昔、鴻之舞金山史という本を図書館で見つけ夢中で読みました
山師が発見、住友に売って、その代金をリュックで大阪から運び、札幌時計台前の旅館で
山分けした話にロマンを感じたものです
その時から一度は訪れてみたいと思いつつ、初めて来ました 感激です
今度は息子たちをつれてきたいです
このノートに感謝です

16.9.27
母の生まれ育った鴻之舞を見に来ました
何もないけれど、たのしかったです

16.10.6
懐かしさに胸が熱くなる思いです 昭和21卒同期会のあとで 10名連名

16.10.9
紋別市民として初めて来ました 何か歴史と栄華衰退というものを感じました

16.10.10
ノートにいろいろな方の思いがつまっていることを感じ 感激しました

16.10.10
鴻之舞を離れて44年振りに来ました
なつかしいです

16.10.22
姉と主人と来ました。昔の思い出にひたりました

17.5.1
日本一の金の産出量を誇った所が この様になってしまうのか 千葉県より

17.5.4
兄弟姉妹で懐かしい鴻之舞にきました
とてもとても感無量です

17.5.6
感激しています
もっと もっと 末永く残してください
知りたい人は居ると思います 札幌より

17.6.12
昭和18年誕生 この地にて
五年振りに来て、記念碑がふえていていました 家族3人で来ました
またいつの日か この地をたずねたいと思います

17.6.19
何度も通過しているけど、立ち寄るのは初めてです
ふるさとを懐かしむことは素晴らしい
私も赤平に帰りたくなりました

17.6.19
紋別に住んで早2年になります
はじめて紋別の郷土資料館に行って金山の存在を知り、来てみました

17.6.21
北海道の炭坑、鉱山の跡を巡っています はかないものですね 神奈川県より

17.6.24
昭和37年まで住吉町に住んでいた
鴻之舞の山は変わったが、皆様の気持ちがひとつになって変わっていないことを知りました
鴻之舞、このひびきが良いですね、又来ます

17.6.25
また今年も来れて大変うれしいです
ここで住んでいた人たちは昔のいろいろな思い出があり、大変な面かげが残っており ひびきがありました
来年か秋に来ます

17.6.28
鴻四期会(鴻中4期生)15名 懇親会の途中に立ち寄る

17.7.10
昭和45年入社

17.7.25
私達の兄は此処で昭和14年7月に亡くなりました
昔をしのび妹弟5人で当時を思い出し、お参りに来ました

17.7.30
祖父がこの鉱山で働いておりました
初めてこの地に来ることができ、大変感激しています

17.7.30
鴻之舞鉱山に勤務中、九州に転勤になり 本日45年振りに当地にやって参りました
91才になり、これが最後かと思うと感無量です

17.7.31
10年振りに千葉から来ました
なつかしく思い、慰霊碑をお参りさせて頂きました

17.8.4
銀色の道に誘われて やってきました

17.8.8
45年振りにきましたが、色々と思い出が よみがえってきた

17.8.10
札幌から今年も又やって来ました
思い出いっぱいある場所です

17.8.14
埼玉から今年も来ました
10年以上前、この前の道が未舗装だった頃、たまたま見つけた、この地です
生活されていた方々の話を聞けるチャンスがあれば良いのですが・・・

17.8.15
今年も来てなつかしく思っています みんなに逢いたいですね

17.8.25
上モベツ駅逓資料館を見学 懐かしい故郷を偲ぶ数々に接し此の地に立ちました
何十年もの生活の鴻之舞 大変嬉しいですね
閉山の48年8月引っ越して近く紋別での暮らしですが、当時の住友での生活は幸福感が沢山有りました
ありがとう!鴻之舞!
横浜の友を連れて感動にひたりました

17.8.25
昭和16年にこの地で産まれたものです
父は鴻之舞小学校の先生をしていました
産まれて64年たって はじめて出生の地跡をおとずれ感がい無量の思いです

17.8.28
十数年振りに、この地へ来た
昔はたくさんあった建物が無い
時代の流れを感じた
自分も年をとったのか
鴻之舞の歴史を語りついでいってほしい 新潟県より

17.9.1
銀色の道 以前からよく耳にする唄
ここで生まれたのですね 横浜市より

17.9.10
道内の鉱山巡りがしゅみの者です
こうのまいはなかなかくる機会がなく初めてきました
ここで多くの人が生活をしていたと考えると フシギなきもちになります

17.9.16
休山後、旭川より初めて訪れました
昔の様子が目に浮かび 悲しく思いました
皆さん お元気でね

17.10.7
平成元年の慰れい祭以来の訪問です
感無量です 埼玉県より

17.10.10
先祖の努力が うかがわれます

17.10.10
45年振りに訪れました

17.10.22
娘の研究のつき合いで来ました

17.10.28
現在69才 千葉県在住
この鉱山で育ち働いてました
北海道には何度か足を運んだのですが 鴻之舞には40年振りに来ました
良い思い出になります
元気であれば また来たいと思う

17.10.29
埼玉から来ました
親の古郷で なつかしく来ました

17.10.31
高校時代授業で聞いた名前が妙に懐かしく覚えていました
ただそれだけのことで2度目の訪問です
何か昔の喧噪が想像できます 山にしみついているようで・・・ 三重県より

17.11.1
釧路太平洋炭坑 阿寒の雄別鉄道に親族の縁があり かつ 廃止路線や郷土史めぐりに
当地を訪れました
この地にゆかりのあった皆様の これからのご多幸を祈ります

18.5.9
また帰って来ました
今度はいつかな

18.5.18
札幌より

18.5.28
札幌より

18.5.28
同郷の諸氏と逢った様な心境に成ります
何時も立ち寄り 見るの楽しみにしてます
幸あれ

18.5.28
6名連名

18.5.28
10才 小学3年生まで居りました
この様な碑を建立して戴き感謝

18.5.28
遠くから来た者ですけれど 記念碑を見て感動しています
皆様御苦労様です
手を取るとすべてがなつかしいです

18.6.4
記念すべき詳しい資料が見られなかったので残念です また来ます

18.6.5
当年68才 小学一年生の頃から・・・
18~24才まで鉱山に勤ム精金係 夫婦共に来る

18.6.15
鉱山の栄えていたころはたくさんの生活があったのですね
罪なき人も(日本人も外国人も)たいへんな働かされ方もされてもいたのでしょう
その人たちのおかげで いまの日本があるということを忘れません

18.6.19
母と思い出の地を訪れました
感慨深く昔のことを思い出しています

18.6.20
爺とババで来た
一度みたいと思っていました 
もっと詳しく知りたい
次の機会を楽しみに

18.6.21
K市老人クラブ一行30名
昔の話を思い出しながら セミの声を聞いたら 遠い時代を偲んでおります

18.7.1
昭和18年頃 住吉町に住み、小学5~6年生だった頃 男女組で担任は鎌田先生
同級生おりましたら 連絡ください 東京都より


※このノートは平成15年鴻紋軌道記念碑除幕式以来設置され、現在も、慰霊碑前にて、記入場に新しいノートはございます。
 この本ノート一冊には個人情報が多いため、お名前、連絡先などは掲載いたしておりませんことを、ご理解願います。
 管理保存は上藻別駅逓保存会・小玉氏にて厳重丁重に行っております。
 すべて心ある方々が当地を訪れ、さらにご丁寧にもご記帳いただいたお手書きの筆跡を このような機械文字としてご紹介させていただきましたことを深くお詫びと感謝を申し上げます。この想いあります皆様の文字たちの大きさ、ペンの濃淡などから一言一言のご心情の重みを、この画面ではお伝えできないことが非常に残念で悔しい想いです。
 このように当地では、今でもお子様からご高齢者、ゆかりある方もない方も、ご地元の方も遠方の方も関係なく、人の一生の証の原点を求め、関わられた先人を敬われ、心あるご訪問やご慰霊が深く重たくなされております。
『偲ぶとは、情緒や感傷だけでなく、訪ね問い続けること』