鴻之舞鉱山開山100周年記念事業の様子

開山100周年記念碑

碑文

 

 鴻之舞鉱山は、大正六年(一九一七年)に住友が鉱業権を取得しましたが、これは「不況の際には金が光ってくる。事業家は金山を持つ必要がある」という当時の経営者の信念によるものでした。

 当初は厳しい経営状況でしたが、製錬技術の改善や新鉱床の発見により黒字に転換し、大正後半から昭和にかけての大不況期においても金価格は堅調で、鴻之舞鉱山は安定した収益をあげ、住友の経営を支えました。

 戦時体制下には政府の産金奨励策のもとで非常増産を行ない、東洋一の金山に成長しました。

 戦後は製錬所を再建し、積極的な探鉱を展開しましたが、鉱石品位の低下や鉱量の枯渇により、昭和四十八年(一九七三年)に閉山しました。

 鴻之舞鉱山が操業した五十六年間の金銀産出量は、金が七三トン、銀が一,二四三トンであり、菱刈(鹿児島)、佐渡(新潟)とともに日本を代表する金山でした。

 

 この度、鴻之舞鉱山が開山して一〇〇年となる節目を迎えるにあたり、その名を末永く後世に伝えるべく、この記念碑を建立します。

 

 平成二十九年八月

    住友金属鉱山株式会社

     代表取締役社長 中里佳明


紋別市立博物館

写真提供:中村修一様


語り部資料「鴻之舞遺産を語り継ぐ」 鴻友会 会長 林包昭


札幌交響楽団紋別公演 アキラさんのモダンコンサート

「銀色の道」(鴻紋軌道の情景が原点)の作曲で知られた宮川泰さんのご子息である作曲家 宮川彬良さんの指揮により宇宙戦艦ヤマトコンサートなどが行われました。共演は紋別中学校、潮見中学校、紋別高校吹奏楽部のみなさん。


もんべつライフ 北海民友新聞報道特集vol.29

頭カラー「鴻之舞特集」 緑に覆いつくされた街 開山100周年記念式典  価1,000円