駅逓所(えきていしょ)とは、北海道開拓時代に、馬と共に泊まれる宿泊所のことで、人馬の貸し出し、貨物の運送、郵便の取り扱いなどの業務を担う北海道独自の制度によってつくられた施設です。
上藻別駅逓所は、1936(大正15)年に紋別市街と鴻之舞の間に官設の駅逓所として建てられ、入母屋造鉄板葦平屋建の本館と、寄棟造鉄板板葦2階建の増強部からなり、外壁は下見板張で、2階窓には装飾的な額縁をつけ、内部は中廊下式で客室等を配しており、延面積は301.4平方メートルです。紋別地方で現存する唯一の駅逓建造物で、戦前の北海道独特の建築形態を有する代表的な古建築物です。
上藻別駅逓所は、1940(昭和15)年に駅逓業務を廃し、高地旅館として1949(昭和24)年まで営業した後、住宅として使われていました。
やがて、老朽化が進み、その歴史を閉じようとしていました。
平成16年、「往年の賑わいを今に伝えるただ一つの建造物である、この消えかけた遺産を守ろう」と、元鉱山関係者5人の有志が立ち上がり、「上藻別駅逓保存会」が結成されました。
鴻之舞金山の歴史を後世に語り継ぐ資料館として、「駅逓所を当時の姿に必ず蘇らせる」という会の熱い思いが地域住民の共感を呼び、活動初期から地域ぐるみの手作りで、少しずつ修復が行われました。
展示物の多くは住民からの寄贈によるもので、平成17年に歴史資料館として開館しました。
その後も地域一丸となって周辺施設の修復活動を続けると共に、歴史の伝承活動を続け、今では、地域住民と他地域の交流、高齢者と若者の世代間交流など、開拓時代に駅逓所が持っていた交流の場としての役割が現代に蘇りました。
また、2008(平成20)年には韓国映画のロケが建物で行われ、さらに同年10月、「昔の形態をよく残しながら駅逓の歴史を伝えていること、歴史的に貴重な建造物として国土の歴史的景観に寄与している」として、国の登録有形文化財(建造物)になりました。
いまでは鴻之舞をふるさとに持つ全国各地の方たちはもちろんのこと、多くの観光客からも注目され、毎年3000人以上の方たちが訪れる地となりました。
保存会では、その施設内外の運営、修復活動、鴻之舞金山の伝承活動、市民農園やイベント(そばひき体験等)などを行っています。
「私の祖父も発見者のひとりです。その誇りと愛着があります。ぜひ、子どもたちに伝えていきたいんです。
駅逓というのは、もともと馬が交通手段だった時代にできた停車場と宿屋が一緒になったようなものです。
鴻紋軌道とは関係はないんですよ。現在の"道の駅"の原点とも云えるかも知れません。私たちは、自分たちの手で守っていくしかないと、やはり鉱山で働いたメンバーなど5名を加え、平成16年から周辺や施設整備、往年の品々などを集めていきました。
子どもたちに伝える資料館にしたいと思ったんです。つまりは、これが自分たちができる(お世話になったご先祖や地域、会社等への)恩返しなんです」。
投稿者:Qronpapa様
「銀色の道」作曲家の故宮川泰さんの同級生。保存会メンバーの中で、一番、坑内労働をなされていた方。
住友社員として昭和23~38年、その後再び呼び戻され50年から定年まで勤め上げた、ゆかりあるスゴイ方。
坑内作業について詳しく、熱く説明をしてくださいます。
いつもファッションも格好いいです!
一番の語り部であります。
時代や年号など含めて詳細に教えて下さいます。
鴻之舞元在住者の会 鴻友会 会長職。
撮影編集:村上博様
父が鉱山に勤めており、母が病弱だったため、いつも学校の放課後は鉱山で遊んでおられたとのこと。
卒業後、資材部に勤めてから、市内へと転職。
そして、市内からこの活動へと舞い戻ってこられたお方。
貴重な写真資料や人集めなど、この方の信用力とお人柄がなかったら、収集できなかったであろうと思われます。
当時の労働歌の音声記録なども含めて、貴重な宝物を一番持たれている方。
鴻之舞を故郷としての想いがとても強く、人脈も広く、人情厚く深いスゴイ人。
慰霊碑裏にどなたかが供える供物を見つけては涙するお方。
各方面との交渉役でもあり、保存会の中での核的な存在です。
鴻之舞とは縁がなかったお方なのに熱心に活躍なされています。
主に屋外におられます。
その活躍舞台は、大工、ガス、木工や水産加工といった豊富な勤務経験からの器用さで、子どもたちのための遊び場を様々なアイディアから創り出します。それも古材などを工夫利用しての腕前はさすが職人さんです。
水車小屋も完成し、いまは樹の上のツリーハウスも建設まで完成。
どうやらKさんの想いに根負けした結果が、素晴らしい生き甲斐の場になってご活躍されているご様子です。
大工道具を巧みに操り、敷地内で生き生きとしていらっしゃいます。
次は、どんなモノを発想して創られるのか、楽しみですね。
まなざし優しく物静かながらも、(まだ駅逓資料館が無名だった頃)通過してゆく車を、ナント、誘導して、資料館へと誘うスゴイ技を持たれるお方。
お花や木が好きで、主に施設周辺の草刈りや、お花たちの手入れなどを丁寧になさっています。
平成16年からの改修工事を始めるとき、この駅逓跡の状況は、屋根には穴が開き、たたみは朽ちており、周辺も雑草などが伸び放題で悲惨な状態だったと云います。
もともとは紋別近郊の農家さん生まれ、坑内の線路敷設作業員として23~28才まで従事なされ、経営合理化と共に退職。
その後、市内にて職を定年された後に、この活動に参加し、もくもくと関わっておられます。
ボランティアで市内などの女性の皆さんたちが、お花の手入れやご接客、そして作業時には豚汁などを作ってはお客様や保存会メンバーの方たちに振る舞い、明るい笑顔で支えておられます。
<子どもたちからの体験感想文の一部から>
■上藻別駅逓保存会の皆さんへ
先日は、お忙しい中、私達のために駅逓や鴻之舞の見学も含め色々なことを教えていただいて、ありがとうございました。駅逓の 見学では昔の道具や当時の金山で採れた本物の鉱物などを見て、大変勉強になりました。
鴻之舞金山では昔の建物の跡地などを見学して、その場所が栄えていたことを知ることができました。
そして、林さんの説明もとても勉強になりました。皆さん、本当にありがとうございました。
追伸 見学の時はジュースや石をいただき、ありがとうございました。
先日は鴻之舞鉱山や駅逓を見学させていただき、ありがとうございました。
私達は上藻別の駅逓で、昔の人達の使っている物を見て、現代よりも限られた材料の中であれだけの道具を作りだした昔の人は 本当にすごいと思いました。
トロッコに乗る体験もできて楽しかったです。また、足でふんで稲を脱穀する道具も実際に体験させてもらって印象に残っています。
本当にたくさんのことを教えていただいて、ありがとうございました。また見学に行くことがあれば、よろしくお願いします。
先日は暑い中、鴻之舞や駅逓の歴史などについて説明していただいて、ありがとうございました。
今回、上藻別駅逓を見学させていただいたとき、昔の人が使っていた脱穀機や毛糸を編む機械などの体験を通して、昔の人達の知恵や考え方がわかり、とても良い経験になりました。
他にも鴻之舞金山の跡地を見たり、金山で働いていた人達の慰霊碑、共同浴場の跡などを見せていただき、金山の労働の厳しさや事故で多くの人が亡くなっていた事などを知り、金山について深く学ぶことができました。
先日は私たちのために鴻之舞や駅逓の歴史などについて説明していただき、本当にありがとうございました。
今回は私たちのために大切な時間をさいて色々な体験をさせていただいて、本当にありがとうございました。
明治時代の歴史が残っている貴重な駅逓や道具を見せていただいて、昔の人の生活の様子や現代にはない、今に生かしたら、とても役立つ技術を学ぶことができました。特に電気がなくても動く道具などは地球環境にもとても大切だと思いました。
また、私たちもこれからは歴史ある駅逓や道具を大切にしていきたいと思いました。
最後に上藻別駅逓保存会の皆さん、これからもお体を大切にして、次の世代の私たちのために駅逓を大切に保存して下さい。
本当にありがとうございました。
<語り部授業を受けた中学2年生の動き>
学校祭の壁新聞コンクールに向け1クラスが鴻之舞の歴史や上藻別駅逓について制作。縦1m×70cmの力作で、保存会の方たちもその内容に唸られたほど。イラストは点描、遠目から見ると印字したかのような精巧な仕上がりでした。約一ヶ月での制作作品。
この壁新聞は、学校祭終了後、上藻別駅逓へと寄贈され、展示しております。寄贈時にはマスコミ各社が駆けつけられました。
制作にあたっていた生徒さんは、このようにお話されていました。(以下、取材インタビュー言葉のまま)
「鴻之舞金山も駅逓も、生まれる前からずっとあって、こうして何度も通って勉強して見たり聞いたりしていると、スゴイと思います。
保存会の人たちから当時の苦労や出来事が直接聞けて、人間的に学べます。これから人生の糧になると思うくらいです。
今まで紋別に生まれてよくわからなかったけれども、こんなにも素晴らしい歴史や財産があって、紋別を愛する気持ちと誇りが持てるようになりました。紋別に生まれて良かったです。」
■現在、保存されている駅逓及び駅逓所の状況
<開拓と駅逓>
明治28年(1895)6月、国は北海道の開拓を進めるために官営駅逓所の制度を定め、馬による物資輸送の継立や、宿泊施設を必要とする場所に駅逓を設置し、交通網の整備を進めました。駅逓所で業務を行う取扱人や駅舎、畑地、牧場、馬などは国の費用で賄われました。
北海道内に設置された官営の駅逓所は、延べ517ヶ所(うち千島41ヶ所を含む)に及びましたが、鉄道などの交通機関の発達に伴い、次第に機能が失われ、昭和22年(1947)3月に全廃されました。
(資料提供:釣山史様)
東洋一を誇った金山
閉山と共に消えた わたしたちの故郷
新たな資料館づくりからの地域力-
鴻之舞に関わられた人たちの想いを
いまに受け止め敬い、次世代の子どもたちへ
ここに 描きます-
★左上のボタンを押すと、全体メニューが表示されます
最終更新日 2024.6.6
北海道紋別市上藻別297番地1
開館期間 4月末~11月末(月曜日休館)
電話 0158-26-5110